柘植正俊

1548年(天文17)生まれ。織田信長の弟信治の子にて、柘植行正の養子。しかし、行正は1538年(天文7)に没しているとされているので養子は疑問である。このことは、寛政重修諸家譜にも記載されている。また、織田信治の子とされているも、信治の生年が1543年(天文12)以降なのは明らかゆえ、信治の子というのも疑わしい。水野信元に仕え、その後信長に仕える。信長の死後は、豊臣秀吉に仕え、その死後は家康に仕える。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いにも従い、500石を賜る。その後、加増され1400石。1611年(慶長16)6月2日駿府において死す。64才。法名「宗天」。

墓所

1.静岡県静岡市葵区慈悲尾の増善寺