福島正則の弟。兄とともに秀吉に仕える。秀吉のもとで、伊勢長島にて1万石。1600年(慶長5)の関ヶ原では、家康に味方。戦後、大和宇陀松山3万石となった。1615年(慶長20)所領を没収。豊臣方に内通した疑いらしい。高晴は名を道牛とし、伊勢山田に蟄居。その地で、1633年(寛永10)9月25日没した。墓は、伊勢市大世古3丁目の市営墓地中央付近にあるが、目立たなく見つけにくい。
墓所
1.三重県伊勢市大世古の市営墓地