雨宮家次

十兵衛家次は武田信玄の家臣。信玄の長男義信に附属される。1565年(永禄8)義信が謀反の疑いで切腹したあとは、武田家を追放され北条家に仕える。北条家では功績をたびたび重ね、7度感状を受ける。のち、高坂弾正を介して再び信玄に仕える。1575年(天正3)5月21日高坂昌澄(高坂弾正の子)の組として長篠の戦いに参加し、討死。家康の家臣小栗又一忠政に討たれた。そのとき、家次は刀を忠政に託した。この刀は、のち忠政から家次の子に渡ることになる。寛政重修諸家譜第一「小栗忠政」にその旨がある。法名「恵閣院殿法観日厳居士」。

墓所

1.東京都某所