井出正次

井出志摩守正次は、井出藤九郎正行の長男にて父子共に武勇に優れていたといい、今川・徳川に歴任した。北条攻めの際は、家康の臣として山中城攻略に参戦。その後、三島の代官に任じられた。1609年(慶長14)2月26日没。家康に献言するも聞き入れてもらうことができず、国分寺(静岡県三島市)に於いて自害したともいう。「・・・慶長十四年二月二十六日興津清見寺ニ御休息中ノ徳川家康公ニ富士山重須本門寺御霊宝還住方献言セルモ入レラレズ斯クテハ天正十年三月三日自己ノ館ニ於テ公トノ確約ガ果セザル事ヲ遺憾トシ追ニ当寺ニ於テ自害セル者也・・・」(国分寺墓石より)法名「心性院殿蓮夢日安大居士」。静岡県三島市泉町の国分寺の墓石は、向かって右より正行・正行妻・正次・正次妹・正次妹(五輪塔)が並ぶ。

墓所

1.静岡県三島市泉町の国分寺

2.静岡県富士宮市北山の本門寺

3.静岡県某所

4.山梨県某所