井出正行

井出藤九郎正行は、南北朝時代の熊野水軍鈴木重行の子孫にて駿河国井出郷(沼津市井出)に居住してたゆえ井出姓を名乗る。今川義元・氏真に仕える。武勇に優れていたという。今川家が駿河国を追われたあとは北条家の家臣となる。1569年(永禄12)武田家の大宮城(富士宮市)を攻めたとき深手を負い従者に助けられるも12月23日戸倉城(沼津市)に於いて死す。30才。法名「寶正院殿蓮樹日行大居士」。三島市の国分寺の井出家の墓地内に5基の墓があるが、向かって右より正行・正行妻・正次・正次妹・正次妹(五輪塔)が並ぶ。正行の名を正直と記すものもあり富士宮市の本門寺の墓石には「正直」とある。正行の墓は3ヶ所あり、法名が各所すべて同じである。

墓所

1.静岡県三島市泉町の国分寺

2.静岡県富士宮市北山の本門寺

3.静岡県駿東郡清水町徳倉の竜泉寺