英勝院
太田新六郎康資の娘。(一説に江戸但馬守の娘)1590年(天正18)家康が関東入国した際に、女といえど太田道灌の子孫ということで召しだされ、その後側室となる。初め、お梶の方と呼ばれていたが、1600年(慶長5)関ヶ原の戦いの勝利の後、名をお勝ちと改めさせられた。一時、家臣松平正綱に下され、その妻となるも正綱を嫌い、これを知った家康は再び戻したという。家康最後の子供市姫(静岡市の華陽院に墓)を生むも4才にて早世。家康の命により、結城秀康(家康次男)の子松平忠昌や家康11男の頼房、兄重正の子太田資宗を養子として、その准母となる。家康が亡くなると英勝院と称する。1642年(寛永19)8月23日没。65才。法名「英勝院殿長誉清春大姉」。 栃木県日光市山内の養源院跡は、大きい方が英勝院・小さい方が家康側室お六の方の墓である。
墓所
1.栃木県日光市山内の養源院跡
2.神奈川県鎌倉市扇ガ谷の英勝寺
3.香川県高松市仏生山町甲の法然寺
4.静岡県三島市玉沢の妙法華寺