大久保忠世

忠員の長男にて1532年(天文元)生まれ。家康の父松平広忠から仕え、数々の合戦にて活躍。三方原の合戦のときには、武田軍に夜襲をかけて損害を与えた。長篠の合戦のときには、弟忠佐とともに活躍。信長からも賞された。忠世が二俣城主のときに、家康の嫡男信康が嫌疑をかけられこの城で切腹する事件が1579年(天正7)9月15日にあった。信康を死なせてしまったことを悔い、のち小田原城主となったときにも城下に寺を建て、信康を供養した。1594年(文禄3)9月15日、小田原城にて病没。しかし、9月15日は信康の命日であることから、自殺説もある。法名「了源院忠世日脱大居士」。静岡県浜松市天竜区二俣町二俣の清滝寺の墓は、向かって右から青木又四郎吉継(正心院殿堅誉良中居士)・中根平左衛門正照(桂光院殿了知居士)・大久保七郎衛門忠世(了源院忠世日脱大居士)・吉良於初(華容院殿一雲行心居士)の墓である。

墓所

1.神奈川県小田原市城山の大久寺

2.京都府京都市上京区北之辺町の本禅寺

3.東京都北区田端の大久寺

4.静岡県浜松市天竜区二俣町二俣の清滝寺