相模守忠隣の3男。母は石川日向守家成の娘。秀忠に仕え、1600年(慶長5)上杉景勝征伐に従う。このとき15才。弱年ゆえ、関ヶ原に向かう途中、信濃国耳取より江戸に引き返した。父忠隣の罪に連座して、川越の天海のもとに蟄居となる。1617年(元和3)南部利直のもとに預けられるも、1628年(寛永5)許され同年家光に拝謁。6000石を知行。1643年(寛永20)10月15日没。法名「霊光院殿明室紹哲居士」。妻は松平和泉守家乗の娘。
墓所
1.東京都某所