太田資宗

重正の次男。家康の側室英勝院お勝の方の兄の子にあたる。1606年(慶長11)伏見城において初めて家康に拝謁。1610年(慶長15)父の死とともに家を継ぐ。家康の命により、英勝院の養子となる。大坂の陣にも従う。家康・秀忠・家光・家綱の4代に仕え若年寄まで出世した。1680年(延宝8)1月22日没。81才。法名「瑞華院殿道顯日應大居士」。

墓所

1.静岡県三島市玉沢の妙法華寺

2.静岡県某所

3.愛知県新城市門谷