太田重正

新六郎康資の子にて、家康側室お勝の兄。佐竹義重のもとで軍功をたてる。義重よりの名の一字を授かり、資綱から重正と改めた。北条氏滅亡後、関東に入国した家康に召しだされ、500石を賜う。1600年(慶長5)の関ヶ原に従う。駿府城の守衛をするも、1610年(慶長15)8月2日50才にて没。法名「覺林院日宗」。

墓所

1.静岡県三島市玉沢の妙法華寺