畔柳寿学

家康の家臣で、代官・奉行などを務めた。土木技術者・建築家としても活躍したが陰陽師も兼ねた特殊技術者でもあった。彦坂光正・友野宗善とともに、駿府の町づくりに貢献し、「駿府城下町造り三奉行」と呼ばれた。ほか、岡崎市の大樹寺・同市の土呂八幡宮などを再建した。1626年(寛永3)閏4月5日没。法名「傅叟壽学居士」。写真の一番右が寿学の墓。 

墓所

1.愛知県岡崎市岩津町の円福寺