島左近

島左近は、勝猛・友之・清興など幾つかの名前が残っている。出身は近江とも大和とも。生年月日は不明とされているが、1540年(天文9)5月5日と記したものもある。筒井順慶の家臣にてその死後は子の定次に仕えた。定次の時に筒井家を去り、石田三成に仕える。三成が自分の知行地の半分の20000石を与え召抱えた、という有名な逸話が残っているがこれは誤り。1600年(慶長5)9月15日関ヶ原の戦いのときに石田隊にあって討死。通説では討死となっているが、生存説が各所に残っていて左近の墓なるものも全国にある。また、筒井家と石田家に仕えたのは確かだが、その時期なども不明で本当かどうかわからない逸話も数多く残っている。武田信玄に仕えて、三方原で家康と戦ったとも。

墓所

1.京都府京都市上京区七本松通仁和寺街道上る一番町の立本寺教法院

2.岩手県陸前高田市高田町洞の沢の浄土寺

3.奈良県奈良市川上東町の東大寺墓地

4.長崎県対馬市美津島町島山

5.静岡県某所

6.大阪府某所