総心尼

水野信元の娘にて水野監物守隆の妻。家康の母の兄の子にあたる。本能寺の変で、夫守隆が明智方に付いて敗戦。守隆は京都で蟄居した。総心尼は、常滑城下で家康から二十人扶持を貰って生活。守隆との間には、長男新七郎が生まれたが、17才のとき小牧にて討死。1618年(元和4)8月26日没。法名「向陽院花影總心大姉」。総心寺の墓石には、「水野右衛門大夫源忠政之女」とあるが年代的に忠政娘ではなく信元娘である。

墓所

1.愛知県常滑市社辺の総心寺