政辰の長男で1547年(天文16)江戸城で生まれた。北条氏に仕え、五家老の一人となる。秀吉の北条攻めの際には、北条氏規を城主とする韮山城に篭って戦うも1590年(天正18)6月24日落城。北条氏が没落した後、家康から仕官の誘いがかかったがこれを断り、代わりに長男の直則を仕官させた。1607年(慶長12)7月11日(12日とも)没。法名「法光院殿嶺雲高徹大居士」(山随神社)・「常泉院殿日圓大居士」(清雲寺)。下の写真、山随神社の墓は、大きい方が富永政家・小さいほうが(伝)富永政重墓。
墓所
1.静岡県伊豆市土肥の清雲寺
2.静岡県下田市加増野の山随神社