一政の子にて秀吉の家臣。数々の戦に歴戦して1590年(天正18)小田原合戦ののちに駿河にて175000石。江戸に国替えになった家康を警戒するため、東海道筋には、秀吉は子飼いの武将を置いた。のち豊臣政権の三中老となる。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いのときには、家康の味方となる。この時、東海道筋の中村・山内・福島等の秀吉子飼いの武将は皮肉にも家康側についた。一氏は合戦のまえの1600年(慶長5)7月17日に病没。
墓所
1.静岡県静岡市葵区大岩町の臨済寺