本多忠高の長男。1548年(天文17)2月8日生まれ。愛知県岡崎市西蔵前町に生誕地の碑が建つ。幼名鍋之助。家康に仕え、大高城の兵糧入れのときに初陣。以後、主要な戦いには参戦。徳川四天王の1人となった。なお、大小の戦に参戦するも身にかすり傷もなかった。愛用の槍は名槍「蜻蛉切」。1610年(慶長15)10月18日に桑名で没した。法名「西岸寺殿前中書長誉良信大居士」。
墓所
1.千葉県夷隅郡大多喜町新丁の良玄寺
2.三重県桑名市清水町の浄土寺
3.和歌山県伊都郡高野町の高野山奥之院
4.兵庫県姫路市書写の圓教寺