大河内秀綱の次男。家康の命にて長沢松平正次の養子となる。家康のもと出世を重ね、家康の死後、久能山の葬儀、駿府城の遺産の管理を担当した。秀忠・家光に仕え、家光のとき勘当を言い渡されて失脚するも復職した。1648年(慶安元)6月22日没。法名「高林院殿俊菴宗徳大居士」。
墓所
1.栃木県日光市の釈迦堂
2.埼玉県新座市野火止の平林寺
3.愛知県岡崎市岩津町の円福寺
4.愛知県西尾市寺津町の金剛院